2010年5月16日日曜日

伯母の家訪問

前にもちょっと日記でネタにしたが、浦和に伯母が住んでいる。
いとこと二人暮らし。

伯母はパーキンソンを患っている。

去年、再就職前にそのことを知り、役所やら福祉事務所やらをあっちこっちして、年金やらデイケアの世話をしたきり時々電話をするくらいでなにもしていなかったのが、心のなかに小さくとげのように残っていた。
先日北海道に帰った折、墓参りに行ったときに、真新しい伯父の墓碑銘を見てそのことを思い出し、ようやく訪れることにしたというわけだ。
我ながら薄情なものである。

思えば、伯母は俺にとって、「埼玉の母」であった。
年齢的には祖母だが。

母が早世し、父の再婚相手になじめず中学の時に家を出たとき、行き場のない俺に部屋を与えてくれたのが新聞屋の所長だった伯父であり、飯を与えてくれたのが伯母だった。

その後、新聞屋の手伝いをしながら高校に通うあいだ、伯母は身の回りの世話をしてくれ、またときに年中バイクのガス代やらTRPGのルールやらでぴぃぴぃ言っていた俺に、新聞配達を手伝わせた代償として小遣いをくれた。
実際のところ、それは小遣いを与える口実だったのだと、いまになって思う。

大学のあいだは、長期休みの度に新聞屋に泊まり込んでは配達を手伝い、正月はいつも週刊誌みたいに分厚い”正月版”を山積したバンに乗り込むのが習いとなっていたが、俺が博士課程に入った頃、伯父が新聞屋を辞め、”年始の行事”は無くなってしまった。

そして数年前伯父が亡くなり、伯母といとこが二人暮らしをはじめていまに至る。


ほぼ1年ぶりに見た伯母は、パーキンソンが進んで寝たきりになっていた。

手足は枯れ木のように細くなり、寝返りも打てなくなったと言いながら、その表情は明るかった。
去年は無かった介護用のベッドが運び込まれ、部屋も以前よりきれいに片付いているのは週に6回ヘルパーさんが来てくれているからだという。
面倒だからと飲んでいなかった薬もちゃんと飲むようになり、いやがっていた医者にもきちんと行くようになっているようだ。
いとこも存外良く面倒を見ているようで、ときどき車いすで散歩に連れていっているのだと言っていた。

北海道で買ってきた魚と菓子をことのほか喜んだ伯母は、田舎で会った人たちの話を懐かしそうな笑顔を浮かべながら聞いていた。

無事、それも以前より安楽に暮らしていることを知り、少しだけ心が軽くなった。

古くは源義家から続くという、石川家の荒ぶる、といえば聞こえはいいが、ようは行き当たりばったりな血を引くもののご多分に漏れぬ、勢いと情動で生きてきた伯父と連れ添った伯母は、ずいぶん苦労をしてきたと、亡くなった祖母に何度も聞かされた。
70過ぎまで新聞を配るような、働きづめの人生を送ってきた伯母。

いまは、ベッドの上で、じっとテレビを見ている伯母。

何かほしいものは? と聞いても「なにもしてないのに、悪いね」としか言わない伯母。



幸せって、なんだろうね。

オチはない。

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